徒然なるままに〜日記である20161120

毎日更新できていることに感謝しよう。それだけ時間的余裕と考えを整理するためのコンディションが整っているということだ。

 

今日の主な出来事は、本を読んでマンガを読むというものであったが、自分の目標に向かって何か進んだかというと正直そうではないのだろう。自分の今やるべきことは何なのだろうか。知見を広げることであろう。そう考えたら、今日したことも自分の知見を広げるとこができたのでいいのかもしれない。そういえば、あるキャンプに参加することに決めたのもでかいだろう。それは、5泊6日で東北で行われるが、東北の現状を知らない僕にとっては、ある種の自分と向き合うために必要なステップであろう。

 

なるべく悲しまないように生きてきて、なるべく悩まないように生きてきた。実際かなしい場面に出くわしても、自分なりの解釈でそれを理解してきた。しかし、物事は理解するかどうかだけの話ではないのだろう。自分の心で正解がない問いに向き合わないといけない。そこには、善も悪もない。ただただ現実だけがあり、僕自身がどのような判断をするのかどのようなスタンスで向き合うべきなのか問われている。そうした場面に行ってみたいと思い参加を決意した。

 

今回の決断が自分の人生の目次となるくらいの出来事だと嬉しい。

自分の人生の目次を考えてみる。どのような大きな出来事があって、それによってどのような起承転結があり、そしてその物語は今序章なのだろうか。僕の年齢的には、まだまだ序章であり、ようやく少年が世界に対する自分の役割を見出だしてきた段階である。僕は、どのような世界観の中にいて、誰と共に暮らし、何を目指して進んでいくのか、どのような悲劇が待っていて、どのようなヒロインがいて、どのような結末になるのだろう。その読者は誰だろうか。僕は自分の人生において主人公である。読者ではない。しかし、今の僕は、本当に僕の人生の主人公なのであろうか。どこか読者になろうとしている。引退しようとしている部分がないだろうか。

 

人と話、その人の人生の物語を紐解く、そして神のごとき視点から自分の意見を言う。一見的を得ているのだけども、そこに感情は乗っているのだろうか。熱さはあるだろうか。自分の人生を生きている重みはあるのだろうか。深みがあるが、重みがない。そのような言葉になっていないだろうか。悔しさや葛藤は含まれているだろうか。僕の人生である。悟るのはまだ早い。悩むことを恐れるな。自分の人生を味わい尽くせ。そして死ぬとき後悔しろ。

 

書き手の神の視点になってはいけない。それは、ブログの中だけで十分である。冷や汗せをかけ、恥をかけ、汗をかけ。頑張ろう。まだやれる。言い訳をするな。背負え。

 

まこる