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精神的鍛錬の日

 

これからは、その日にタイトルをつけてみようと思う。

今日のタイトルは、精神的鍛錬の日である。何か問題があった時、それを言うか言わないかは自分次第である。そして波風を立てないという対処法もある。しかし、今回はただ我慢し続けるというのは、今後の運営の仕方全体に悪影響が出ると思い、タイミングや言い方はあまり工夫できなかったが率直な意見を伝えさせてもらった。それに対して、どのように対応するかはわからないが、真摯に僕は向き合っていこうと思う。

問題は、人にあるのではなく構造になるのである。僕らはそこに注目して解決していかなければならない。システム思考という考え方は、いつまでも僕に新しい示唆を与えてくれる。世の中の人がシステムの持つ力を理解し、そこに働きかけるサービスや解決策を見出すことができたら、より人類は前進していけるだろう。

 

その他に、今日は映画を一本見た。ミリオンダラーベイビーという映画だった。最後が悲しかったが、あのような結末も仕方ないのかもしれない。全てがハッピーエンドになりわけではないが、それを受け入る覚悟というのを描いた物語だろう。

 

今日は、講座の日だった。僕が掲げた目標は達成できているだろうか。正直に言うと僕が受講生に対して担えている役割は少ないのかもしれない。意図的に知識を提供する立場になるか、受講生が抱える悩みを聞き出していく立場にシフトを変えていく必要がある。今は、受講生の空気が良くなるように、盛り上げ役をしていこうと思っていたが、それらも必要ないくらいの関係性ができてきたので、次からは一人一人に焦点を当てたコーチング的立ち位置を担っていこうと思う。

 

一つ疑問がある。僕は、プレイヤーなのだろうか、マネージャーなのだろうか。

正直、プレイヤーの方が自由に意見が言えるし、自分の意図のもと結果を出すことができるから楽である。しかし、マネージャー的立ち位置を取ることもよくある。チーム全体の舵取りを考えるときは、その人の個性や能力を最大限発揮したいと考えるので、マネージャ的立ち位置になる。どのように参加を引き出し、意見を言える場を作り、能力を発揮させるかを考えるのが好きなのだ。

 

しかし、適性があるのプレイヤー的な自分の意見を自由に言える場なのだろう。僕の持っている知識や知恵、経験から最適な回答を見つけ出す場には向いている。

それらの観点から見れば、プレイヤーでもマネージャーでも最適な解を見つけ出すプロセス全体にかかわるポジションなら適性があるということなのだろう。

 

明日は、ファシリテーターとしてバイトが入っている、ちょっと英語の記事を読んで早めに寝ることにしよう。

 

まこる