11月が終わり12月が始まった〜次の一ヶ月に向けて僕たちができること〜

12月2日になった。あっという間の15日間だった。意味があるかわからない徒然なる書き語りを始めていこうと思う。11月15日から始めてブログを12月2日まで毎日書き続け、1日に平均2記事以上書いている。ただの文章も積もり積もって、32記事である。平均1000文字以上は書いているので、文字数にすると32000字以上で

 

あろう。1500字以上書く日もあるので、合計で40000万字は書いている。卒論一つ分くらいであろう。

 

 

先ほど、11月の記事を読んでみた。11月は自ら何か大きく動いたり、何かを成し遂げたというわけではないが、数多くの意思決定をした月であった。そして、そのうちの何個ものものは、お金が絡んでて、そしてお金を払っているので動くしかないものだ。

戦略思考で自分自身に行動してもらうときに、決断の仕方がうまくいったと思う。

そんなこんなで、11月は、韓国に3泊4日で行ったし、12月は東京に行く。1月は関西。2月は東北に行く。そのような決断をできた自分を認めたい。

 

相談に乗った数は6回ほどかな?それがどういう方向に向かったかはわからないが、うまいこと先に進んでいけたらいい。相談乗る側がこういうのは違うのかもしれないが、自分の価値は常に感じていたいし、その影響がずっと続いていて欲しいとは思う。しかし、それは自分が相手にとっての何か特別な存在になりたいという承認欲求の表れであるし、誰にも価値を認められていないから誰か認めてくれという甘えかもしれない。

 

僕自身は、僕自身の価値をまだ認められていないのかもしれない。何でもできるかもしれないが必要とされていない。それはすごく悲しい。正直に言えばね。

 

なので、11月の出来事はすごい色々自分では進んだと思っていたかもしれないが、ふとした瞬間に自分が何を残したんだろうと不安になる。それはすごい一時的なことだし、たまに起こるどうしようもないことなのだが、誰かの特別でない自分を認められない。自分にとっての特別でいいのかもしれないが、僕はまだ自分のことをそれほど悟れていない。

 

何かした気になるな。というのが僕自身が僕にかけている言葉なのかもしれない。

今月は、色々な種を蒔いた。正直、それは確信してもいい真実だ。その先に何があるかわからないけど、その物事の限界を勝手に決めて絶望しているのもまた自分自身なのだ。

 

とりあえず、人を頼ってみた。結局は、甘えているだけなのだけど、誰かに甘えることを自分で禁止している僕からしたら、とても苦しい決断なのだけど、本当に頼れるかはわからないけども、とりあえずSOSは出してみたし、これは次につながらないかもしれないけども、何かと頼ってみた。一緒に海に行く友達が欲しい。

 

11月は内省の月だった。そして決断をした月だった。何か物事を進めた月だった。その中で僕が不安に感じているのは、その決断、その進んだ方向がちゃんと僕を成長させてくれるものなのか。決断しただけで何も前に進んでいないのではないか。ただいま僕がふわっと浮かんできたことで本質的なのは、そこに対して思考するエネルギーを使うよりも、その物事が生まれた時に対応すればいいわけで、今はその物事が発生するのをただただ待って、自分が今できることに集中した方がいいのだろう、それがどれだけ突発的な動機付けであっても、あまりきにすることではない。何をしてもいい人生だ。より道をたくさん楽しもう。

 

15日日記を書いてみて思ったことは、全部ただの寄り道でそもそも道が決まっていないからこそ、振り返ってみた時に一本あるように見えるだけで全部寄り道である。

 

まこる