今後何を大事に何を正しさとして生きるのか。

現在、東京のある多様性の非常に高い某大学院にいる。

そこでの生活は、沖縄にいた時より大分エキサイティングだし、何か新しいことをやるには絶好の機会ではないかと考える。

 

しかし、環境はただの環境である。私自身は、明確なビジョンを持って大学院に進学したが、そのビジョンと照らし合わせた時にまだまだやれることがある中で、現状に満足しつつある自分を感じる。例えば、私は、グローバルな多様性を感じられる大学院で、教授の個別指導にも近い教育システムと自由な校風が好きでこの大学院への進学を決めた。現状としては、グローバルでありつつも、英語が話せない自分に気をくれをして、積極的に新しい人とのコミュニケーションが取れていない。また、自身の研究に関しては、確かに沖縄にいた時より、人と話したり議論する機会が増えたが、それはコンセプトの域を超えないし具体的に根拠や研究が前進したとはまだ言えない。まだ、大学院に来て20日間である。なので、そんなに深く気にすることでもない気がするが、それでも自分の中で何かこのままじゃいけないという感情があるのでそこには向き合っていこうと思う。

 

そこも踏まえた上で、今の自分の変化を振り返ってみたいと思う。大きく分けて、三つあると思う。

一つ目は、生活のリズムができてきたことである。今は大学の敷地内にある寮に住んでいるが、それによって移動時間が大幅に短縮され自分の睡眠時間と朝の勉強時間を取ることができるようになった。私は、夜の12時ぐらいには寝て、朝の7時から8時の間に起きるようにしているのだが、私の講義が始まるのは早くて10時から遅くて、14時くらいからである。それによって、朝の時間は課題をやったりリモートで受け持っているホームページの更新をしたり自分のために使える時間が増えている。夜に疲れた頭で色々やるよりは多くのことが朝の2~3時間でできている。この数時間は、一年で計算すると700時間を超え、そして、それは日数にすると30日近くである。夏休みの半分くらいの時間を朝作ることができる。その時間に何をやるかで今後の人生が変わってくると思う。

二つ目の変化は、自分の考えを表現する機会が増え、自分の世界観を真に実現したいと思えるようになったことである。私には、「暖かい世界」を実現したいという考えがあり、それは、人が自分の存在理由を周りの人やコミュニティ、仕事で関わる人の中で見つけることができ、その存在目的は自分の能力やスキルなど何かを生産することによって得るのではなく、その場所を自分が居場所だと心から感じられることによって見つけれる存在目的である。そのような場所には、自分自身を真に全て持ち込むことができ、仮面をかぶって内側から疲弊している世界よりは心地よく、そしてそれによってその人の個性や能力がより発揮されやすい場所になると考える。私は、そのための土台としてファシリテーションが活用できると考えているが、それを誰にでも活用してもらえるようにシステムとしてのファシリテーションが必要であると考える。それによって、人の自分らしさを引き出し、それをギフトの形で多くの人に分け与えることで、自分も誰かからギフトを受け取ることができ、それによって暖かい世界が作れるのではないかと考える。私たちの時代には、もっと自分らしくその上でそれが自然と全体のためになるそんな世界が実現できると考えている。

このような話を、多くの場で積極的に話せるようになった。その理由の一つとしては、自分がそのような話をしていくことで「暖かさ」に価値を置く人が増えればいいなという気持ちと、話すことによるフィードバックが自分と自分の考えを前進させてくれるということに気づいたからである。また、研究テーマとしてもシステムとしてのファシリテーションの構築を研究するつもりであり、研究者として大学院い通う限り絶対的に話す機会が増えるのである。私は、自分がただ話したり考えているだけで何も変化を生み出せていないと思い、そんな自分を許せない気持ちもあったが、今は自分の考えが絶対ではないし、今だからこそ深く考えたり人に真剣に話せると思い、今の現状でできることとして、ただ考え話すということに集中するつもりである。そして、それを自分の事業として絶対に実現するという気持ちがあるからこそ、今は深める時期であると納得させている。

 

三つ目に、愛する人との関わり方が変わってきた。私は、沖縄に彼女がいる。今は遠距離であり、お互いが何をしているかわからない。だからこそ、相手の気持ちを確かめたり不安になったり、コントロールしてしまう自分がいる。しかし、同時に離れているからこそ、相手のことを思いやり、今この瞬間どんな気持ちで何をしているのかという風に考える時間が増えた。沖縄で一緒にいるときは、どちらかというと自分本位になってしまう時間も多く傷つけてしまうことが多かった。自分のことだけ見ててほしいともおもった。しかし、その延長線上には相手も身動きできなくしてしまう自分がいた。今は、離れてしまい強制的に自分本位には動けない現状にいるが、そのことによってより広く深く自分と相手の関係性や望んでいることを考える時間が増えている。手紙を書くことも増え、電話することも増え、メッセージを送ることも増えた。飛行機代も高いが、その分働くことで相手に会える機会を増やそうとも思っている。このような相手も独占する以外のコミュニケーションの取り方と、自分の会いたいという感情をうまく活用し、次のステップに繋げる思考ができたのも、環境の変化だと思う。

私は、ただ与える存在になりたいと考え、そのために自己犠牲を選んでいたが、そうではなく率直に自分の気持ちを伝え、自分の願いに耳を傾け表現することの大切さも感じた。その先には、お互いがいい形での依存を持ちながら一歩引いて応援するという絶妙なバランスが取れるのではないかと考える。

 

これらの変化を踏まえ、私は新しい変化として何を望むだろうか。

現状考えているのは、今以上に多くの場所で多くに人と関わる機会を増やしたいと考えるている。その理由として、平日の大学院での講義の間は、正直課題ややることに追われ自分自身の生活でいっぱいいっぱいである。なので、休日はボランティアや学外の活動に関わり多くの人に何を提供できる自分でありたい。大学にあった「模擬国連」のサークルに入るのもアリかもしれない。自分自身でいっぱいいっぱい時こそ誰かのために自分が存在することで、そこでの気づきやエネルギーをもらえたりするのではないかと考える。奨学金やアルバイトである程度の生活はできているので、ボランティアなどをできれば嬉しいなと思う。

また、このようにブログに今の自分の想いを乗せていくことによって、振り返った時に何かを思い出せるかもしれないし、また自分の考えを文章の形で表現することによって、新しい自分にである。駄文かもしれないし、自分語りでしかないのだが、それでいいのだと言いたい。

 

僕は、研究者兼、実践家兼、思想家になりたい。

 

まこる