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徒然なるままに〜 ドナルドトランプ氏について回想してみない。

日記なり 内省 徒然なる学び

 

結局、僕にとって居心地のいいのは徒然なるままに文章を書くということに落ち着いた。ところで、せっかくなので、今日したことを内省してみる。そういえば、毎日22時ごろ僕に内省を呼びかけるタスク管理アプリがあるが、あれが一番求心性のあるタスクだった。やりたいからやるってのがわかりやすい。

 

今日学んだことに、現状維持バイアスというのがあった(たぶんこんな言葉)その中で言っていたように、人は、新しいことをするのを無条件でコストがかかると考える。そして、今していることを継続してしまう。つまり、内省という活動自体を抵抗なくできてしまう僕は、それがいつもの延長にあるということだ。逆の他のタスクで、僕に勉強を呼びかけるタスクがある。しかし、今の生活で勉強は日常ではなく、非日常になりかけている。かつ僕の行動の動線上に勉強をするための仕掛けがあまりない。例えば、机をきれいにすることから始めれば良いのだろうか?もしくは、椅子にもっと座りやすくすればいいのか?どちらにせよ。今この文章はベットの上で書いている、その方が自分にとって日常的だからだ。

 

海外にいた時は、自然と7時に起きれたし、勉強をすることもできた。それが当たり前だったからだ。生活を変えるとは、当たり前を作り出すのと似ていると思う。

そこでだ、新しい当たり前。そして前に進んでいくための当たり前を作っていきたいと思う。どんなのが考えられるか??

 

例えば、トイレに自分の夢を書いておく。そしてそれを毎日見ることになる。

単純に、部屋に目標を書いておいてもいいのかもしれない。

他には、無地のキャンパスを壁に貼って、それに気が向いたときに何かを書いてもいいのかと思う。そうだ明日買いに行こう。単純に買うことからスタートしてみよう。壁といっても、ベットの近くがいいのかもしれない。そこなら比較的簡単に手を出せるからだ。

 

人が日常的に何かをするための条件に、近さ、簡単さ、中毒性があると思う。

例えば、スマホは常に携帯しているものだから、中毒性が高い。逆に例えば、難解な本を読むなんてのは、そもそもその本を手に入れないといけないし、その知識のアウトプット先も思いつかないし、まず重くて持ち運びにくいしなど、様々な理由で馴染みがないのだろう。

この論理を飛躍させて、馴染み深い、中毒性がある人の条件を考えてみた。比較的誘いやすい、心理的距離も、物質的距離も近い、そして何かしらの便益を提供してくれるというのがあるのではないだろうか?

 

意図的にそれをしていくとしたら、何か頼んだり、呼び出したりするコストを徹底的に下げ、単純接触回数を増やし、家を近くに引っ越し(これはさすがにあれだけど)、時々、適切なアドバイスや笑いを提供できる人というのがあるだろう。手に入れにくさやレア度を上げることで、ガチャゲーのようにそれが手に入れることができたときのドーパミンを引き出すというのもあるだろう。だが実際、いつまでもその戦略に頼るわけにもいかないので、むしろコンビニエンスストアのように、いつでも利用できる存在になれば、論理的には、中毒性の高いパーソナリティーを手にすることができるのではないだろうか?それが本質的な価値を相手に提供できてるかどうかは置いておいて。

 

ドナルドトランプ氏はとっつきやすいのかはたまたレアだったのか?

 

まぁ、今回はそんな感じの回想録であった。徒然なるままに、このような思考をしているが、大抵書かないので忘れてしまう。

 

まる