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未来志向

 
今日から、ブログの書き方を少しだけ変えようと思う。
今までは、自分の心に流れてくる文章を書いていたが、これからはその日に何を学んだのかというのを後々振り返れるようにしたいと思う。主に、内省をした結果何を取捨選択したのかというのを振り返りたい。
 
今日学んだことは、自らの自己表現の仕方である。人はコミュニケーションをとる生き物であり、自分をどう相手に伝えるのかということだけで大分印象が変わってくる。
 
僕は、スイッチを切り替えて自己表現している。本当の自分を表現する価値があるかどうかで、どこまで相手に伝えるのか、相手は受け止められるのかを考えながら自己表現をしている。僕が、自分のことを余すことなく表現できる相手は、質問が上手な人が多い。そして、抽象的な概念に対しても理解を示せる人が僕のことを本当に理解してもらえる人達である。
では、そのようなことに関心がなくまた受け止める土台がない人たちには自分をどのように表現したらいいのだろうか。それが、今回のテーマである。正直自分のことをすごく見せる必要はなく、結果で語ればいいという意見もある。等身大の自分を好いてくれるかどうかという視点である。だか、ある状況下では、僕のことをその場で伝えなければならないことがあるだろう。何を伝えれば響くのか。大体の人は、僕の明確の将来ビジョンを聞く中で、僕に対する評価を決めることが多い。他には、思考スピードや考えの深さ、適切な返しなどで判断される。
そのようなことを会話の中で織り交ぜて話せば、僕に対する評価は高まるのだろうか。
いや、その必要はないのだろう。その時その時に、僕に対する評価をして、それが実存より低かったとしても、後々にその評価を上げるに違いないからだ。それぐらいの自信は僕にはある。それを表現できる場がなかったとしても、いくらでもそのような状況は作り出すことができる。ここまで自分と話してみて気づいたことは、僕の中の価値観に、結果的に良くなるという考えが入っていることだ。どうせ良くなる。ぼくだもの。今までそうだったもの。というものである。
 
僕は、大器晩成型であり、どちらかというとプレイヤーである。なぜなら、僕は膨大の量の知識を持っているし、それをどのように活かしていけばいいかもある程度見当がつく、そして、それを現在は人材育成に使って行きたいし、人の選択肢をより洗練されたものにするために使って行きたい。では、どのようなことをすればいいのだろうか。一つは情報を発信していくということである。自分の中に留め続けるのではなく、外に向けて発信する。自分がどう思われるかを気にしていた時にはできないことであったが、もう昔のつながりは大体切れてきて、新しい関係性が生まれ始めている。その中では、僕は思慮深く、膨大な情報を持っており、それを処理する能力があり、戦略性の優れている。
僕のやりたいことをブログ等で情報発信したら、それなりの読者はつくのかもしれない。
戦略性、学習欲、着想、内省、収集欲。これらを生かした分野とはどのような分野なのだろうか。企業の戦略を立ててそれを実行させる立場がいいのだろう。今僕はそこにいないし、それらを楽しいと思える仲間に恵まれているわけではない。大学生に、受ける性格ではないからだ。ただ、一つ有益かもしれないことは、未来に対する正確な予測を立て、それをシェアするという中で、自分の影響力を高めるというのがあるのだろう。あるメディアに自分の記事を寄稿してもいいのかもしれない。
 
僕が考える仕事に関する一番のリスクヘッジは、いい意味で、人と同じことをしない。みんなが考えていない時に考え続け、みんなが危機を感じてない分野を危機に感じ。みんなが楽しくないと思える分野を楽しそうに進めていく。それが将来の自分と他人の差別化という視点で有益なのだろう。70億人という人類の中で、人と同じことをするということは、つまり代替可能であるということである。単純な話、同じことを出来る人間がいて、それほど精度を求められていない分野に関しては、賃金の安い人を雇う方が企業にとっては徳であるし、現状それを良しとする企業の方が多い。そこに対して、真正直にみんなが思う当たり前を信じて進んでいくのは、いささか危険が多い。
社会一般の平均的なIQで平均的な環境に育ってきた人たちと同じような思考になってしまったら、その時は自分を変革せねばならない。それはつまり、自分の市場価値が大衆的になってしまったということなのだから。
 
未来について想いを馳せてみた。今の世の中はドゥテルテやトランプの当選、韓国の大統領の関係者の汚職など、世の中が不安定になっている。その結果個人主義的な考え方が横行するだろう。では、個人主義とは何か、それは自らのパイを獲得するためなら相手のパイを取ることを厭わないということだ。そして、それらの欲求は需要がある限り無くならない。取れるだけ取る勝者総取りをオッケーにしてしまうのが、個人主義である。その中での僕の立ち位置はなんだろうか。その事実に気づいたものか。それを立て直す力を持っているのか。だとしたら、その力とは何か。違和感を気づく、本質に近づける能力なのかもしれない。
 
まこる